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 6.( もう一冊の「稲葉事件」) [警察の組織犯罪]

6.  ( もう一冊の「稲葉事件」)

    

当時もう一冊「稲葉事件」を扱い、本としては曽我部氏より2カ月早く著者の勤務する出版社ではなく講談社から出版されている、織川 隆(ペンネーム)北海道警察 日本で一番悪い奴ら』がある。

 

警察を「信じて疑わない人」や「想像力の欠如した人」には信じがたいタイトルかもしれないが、正しいタイトルである。「事件の本質を考えればタイトルから「北海道」を削除してもいいだろうと私は思う。

犯罪を取り締まる機関がその権力をバックにして重大な組織犯罪を犯していたのだから、その犯罪の規模と隠蔽の小細工からもみても当時の道警は「日本で一番の悪党」であったことは間違いない。数名の幹部たちが自ら説明することなく逃げきりめでたく定年を全うしたことを考えると、現在の道警もいまだに悪党の影を引きずっているのかもしれない。

 

この本を積極的にとりあげなかったのは、稲葉事件の重要な証人の変死についての検証、考察が少なかったことや稲葉事件に対する当時のメディアの消極的な対応の状況がほとんど書かれていないし、道警だけの問題ではなく全国の警察組織に共通する問題である可能性についてもまったく触れていないからである。

 

証人から元妻への10の手紙全文の内容がそのまま掲載されている。渡辺の怪死を検証する重要な資料になるはずである。この様な手紙を全文そのまま掲載する目的は疑惑の死を検証するためなのだが、親族の言葉だけで積極的に検証がされていないように見える。

曽我部氏はこの渡辺の手紙が先入観予断の原因になるとしてあえて掲載していない。

生前の悪行が死んだことによって消えるわけではなく、遺族の側の身内への思いによるある種の「美化」を排除するためである。

 

この本で特に気になる事件の闇のひとつ「証人の死」に関してだが、

遺族の側による「司法解剖」の申し出を拘置所側は許可したのだが、遺族側がやらないだろうとみていたか、もしそうなった場合でも拘置所側は「事前に抜かりなく」対応する可能性もあるので、「司法解剖を遺族に許可したこと」が自殺と判断する根拠にはならないと私は個人的にそう考えている。

織川氏が拘置所側の立場を代弁しているようにさえ見えてしまったのだが。

  

「公安さん」に様々な場面で小細工をされ虐められ続けて、物事を疑ってかかるクセがついてしまった私はついつい考えてしまうのである。

「全国の警察組織が共通して内部に抱えている問題を稲葉一人と道警だけの責任(実際には責任らしい責任をとった幹部は一人もいない)で一件落着させる、まさか「警察」という組織そのものを守るための手の込んだ後方支援の本ではないと思うが。」

数年後に出版された関連本のタイトル極悪警部シャブと警察の闇」を見てよけいにそう思うようになったのだが、私の考えすぎ、深読みしすぎかもしれないしあるいはただ単純に著者の掘り下げ方が浅いのでそう見えるのかもしれない。

 

私の読み間違いならば、かえって歓迎すべきことで、私の置かれている立場からも警察の真実(秘密の公安警察)を白日のもとに晒してくれる一人でも多くの「アンタッチャブル」に切り込むのジャーナリストの登場を誰よりも願っているのだから。

 

ちなみに本のタイトルだけは公安(公安警察や公安調査庁)悪質さに鑑み私のブログのタイトルの参考にさせていただいた。

 
 

最近「外事警察  その男に騙されるな」という日本映画が公開されるようである。公安警察を過激なタイトルで告発している人間はほとんどいないので私のことを匂わしているのかなと思ってしまう。「その男」というのも気になる表現である。なぜ「あの男」ではだめなのだろう。「STの苗字を知っている人は何かを感じるかもしれない。被害妄想になるのでこれ以上は言わないが。もちろん内容は別の話だろう。

善意の協力者が多数登場するそうなのだが、組織的なストーカーの最大のポイントも「協力者」であり、協力がなければ組織的なストーカー犯罪は成立しないのである。

 

外事3課の仕事ぶりは「漏洩事件」で都合よく広く知られる事となったが、真実はドラマや映画で描かれるような公安にとって都合のよいきれいごとだけではない。

国内での活動は単純な監視活動などではなく積極的な犯罪行為が厳然としておこなわれている。公安(特に公安調査庁)が危険団体の情報収集調査が仕事のようなイメージができあがってしまっているが大きな間違いである。世間で思われているよりもかなり積極的な機関のようである。

 

邦画はもうあまり観ないがサブタイトルが気になったのでついとり上げました。

制作する必然性もない映画で、主役を「大根」が演じている公安警察御用達の映画がヒットするはずもなく、私なら金をもらっても観ない。

 

どうせ「おすぎ」が何年か前に言っていた「ゴミみたいな映画よ」が邦画界にまたひとつ増えることになりそうだ。

 

私の言うことが嘘かホントかレンタルになったら確認するのもひとつの方法です。

ただ世の中には変わり者がいて脳みその回路が一部ショートしているのか、ゴミ映画にも感動するバカタレもいるので・・・・・。

 

私個人としてはお金と時間の無駄だと思うのでお奨めしないが。

  やはり1週間でゴミになったようです。ご愁傷さまです。≫ 
  

暴力団と渡り合うには対等かそれ以上の剛腕刑事でなければ務まらないだろう。ニュースなどでも容疑者連行の場面でどちらが暴力団かわからないごっつい顔強面の刑事をよく目にする。覚せい剤の常習は珍しいだろうが暴力団関係の情報を得るためにも、「信頼関係」を築き持ちつ持たれつになっている稲葉と同類の刑事が全国にゴロゴロいるはずなのは容易に想像がつく。

 

確かな情報を得るために警察組織としての目溢しや犯罪と変わらない裏取引がなければ拳銃や覚醒剤など暴力団組織が絡んだ事件の捜査はやっていけないないかもしれない。稲葉に道警幹部黙認不作為による目溢しや暗黙の了解の有形無形の協力があったように。

 著者も指摘している。暴力団と警察の関係はGHQの日本進駐時代から密接であり、闇市からのし上がった「愚連隊」が「レッド・パージ」のために利用されていた時代から脈々と続いている。 全国の警察組織と暴力団がある程度の癒着構造で結ばれていなければ、とっくにヤクザという言葉は死語になっているはずだ。 

既に施行されてる「暴力団対策法」も表面上の数字では効果があったように見える。しかし実態は暴力団員が組員を名のらず顕在化してしまい、見えずらくなっているだけである。

昨年も「暴力団排除条例」が全国で施行されたが、暴力団による犯罪は形態を変えて一定の規模まで減少するように見えるが消滅することはありえない。 

暴力団関連の法律も改正する前に最初から厳しい法律にすればよさそうなものだが、掛け声ばかりが目立ちこの先暴力団が壊滅することはないだろう。

そのうち生き残りをかけて表向き組に所属しない一般人と見分けのつかない髪の毛を七・三にきちんと分けた地味な会社員ヤクザが主流になるかもしれない。


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