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8. ( 逮捕 ) [警察の組織犯罪]

8. ( 逮捕 )

逮捕の翌日には、なぜか渡辺の身柄は東区苗穂の札幌拘置()所に移送され、さらに警察の意図的な不作為か渡辺の黙秘によるものかは不明であるが(織川氏の本では黙秘と断定)警察の供述調書が作成されない中、札幌地裁の判事による勾留質問が行われたのは逮捕から2日後の7月7日である。

警察や検察に握り潰されずに、どうすれば判事の前で事実関係を話す事ができるか助言した人物がいる可能性を示唆しているが、逮捕歴のある渡辺は捜査の流れを知っているので最初から判事の前での発言を計画していたのではないか、そしてその計画に一枚かんでいるか、あるいは最後のひと押しをしたのがT警官なのではというのが著者の考えである。 

渡辺が稲葉のS(捜査協力者)として多くの「事件捏造」を仕組んでいたことを知っていた道警内部の警察官たちもこの時点では渡辺が「稲葉と道警」を裏切る爆弾発言をするとは誰も考えていなかった。渡辺が逮捕された際、覚醒剤の出どころを一切話してないからである。

 

彼は警察が組織力を駆使しても隠蔽できないよう、警察や検察の力が及ばない裁判所の判事の「勾留質問」に答えるかたちで、彼の目的である「稲葉警部個人の犯罪」と「北海道警察の組織的犯罪」を公の場(判事の前で)に晒す事が一応できたのである。

 

判事の前での渡辺の発言をきっかけに稲葉はその3日後に逮捕されるのだが、家宅捜索は1週間以上も後からで、しかも稲葉の主たる居住先のマンションは20日以上も経ってから捜索している。道警にとって都合の悪いものが出てきたらまずいので共犯者に時間的猶予を与えたのである。この時点では推察される共犯者が実際にいたかどうかも明らかにはなっていない。信じがたいことに家宅捜索をしたのが道警本部の薬物対策課や、銃器対策課など生活安全部捜査員たちである。証拠隠滅や共犯者の隠避が疑われてもしかたのない状況である。

 

ガサ入れで押収した覚醒剤は報道では93gであるが、著者もウラはとってないが信憑性のある現役警官からの逆タレ込みでは1.2kg押収したそうである。

稲葉自身も逮捕前のアジトに現金と700gの覚醒剤があったと証言しているが、結局うやむやになっている。

100gで末端価格が600万円、使用分量は4000回分。93gだけでも幹部警察官による「覚醒剤の密売」が導き出される。

 

道警は当初事件を意図的に小さくするために、渡辺の「覚醒剤所持」と稲葉の「覚醒剤所持、使用」を全く無関係の別の事件として扱っていた。渡辺の調書の作成段階から意図的な隠蔽作業が始まっていたのだが、稲葉が逮捕されてからはなりふりかまわぬ隠蔽工作である。

覚醒剤の押収量も当初は0.44g監察官室は発表していたが通信社の記者に追及されて隠しきれなくなって公表したのが93gで、「使用」と「密売目的」では幹部警察官の犯罪としての悪質性が全く違うのである。

 
 問題なのは覚醒剤の量などではなく、マスコミが察知しなければ発表しない、既に知られている情報は発表するが、知られていない事実は事件に関連した重要な事でも自らすすんであえて発表しないという道警の姿勢である。
 

逮捕された稲葉の供述調書もあまりにお粗末で支離滅裂であった。隠蔽しなければならないほど、警察組織全体に影響をおよぼす大変な事態になっていることを道警の幹部たちが承知していなければこんな調書は作成されないとある。

泥棒の仲間がその泥棒の調書を作るようなものだから当然信用できない内容であろう。

 

覚醒剤の押収量の隠蔽も通信社の一人の記者の猛烈な取材で明らかになったのだが、気になるのは「小ネタ」のために無関心を装う他のマスコミの姿勢である。

警察という強大な権力機関の事実隠蔽に対してマスコミ各社はをむくどころか、より穏便な方向へと向かっている。』『各社の反応はあまりにも寛容でおとなしい』『マスコミ各社は敢えて道警に騙されている』と著者は表現している。

 

この事件の発覚の際の地元紙の扱いはどうなのか。

2002710日道警生活安全部特別捜査隊の班長である稲葉警部の覚醒剤使用が発覚の際北海道新聞の一面は鈴木宗男斡旋収賄罪で起訴されたことであり、稲葉の事はかろうじて社会面の一面で報じられている。

ほとんど北海道のローカルな事件扱いで新聞報道の扱いは予想外に小さかった。

また日本ハム球団の本拠地が札幌ドームに移転が決まり記者会見が札幌ドームで行われたのも稲葉警部逮捕の日だった。

 

偶然なのか意図的に報道する記事の選択をしたのかはわからないが道民の関心の高いニュースが同日に集中している。北海道でさえこういう報道のされかたなのだから北海道以外では当時はこの事件のことを知らない人がほとんどだろう。

 

現役警部宅から「覚醒剤100g押収」の報道で道警本部激震していた日、警備畑出身の上原美都男道警本部長は夏季休暇の知床旅行中で最後まで休暇を全うした

この本部長、後に辞任することになるのだが稲葉事件が理由ではなく20037月の天皇の北海道行啓の際の警護で「御召車」へのイカレタ男が車で突進した際の白バイの接触事故が原因で辞任したのである。稲葉事件では最高責任者でありながら警察庁長官による訓戒程度の処分で済んでいる。


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