3. ( なぜあの時期に ) [警察の組織犯罪]
3. ( なぜあの時期に )
裏金など何十年も前から行われてきたことでどこの県警でも目立たないよう普通に行われていたはずである。
警察に限らず裏金と呼ばれる公金横領は日本のあらゆる公的機関で昔から行われている。個人の横領は別としても、カラ出張旅費やカラ時間外手当を請求しプールして歓送迎会や親睦会等の一部として本来の目的外に使われることは、公務員の世界では慣習のように昔から行われてきたことで特殊なことではない。「組織全体の円滑な運営のために公金を便宜的に使わせてもらった」程度の共通認識で罪の意識をもつ者はほとんどいないだろう。
しかし犯罪であり悪しき習慣であることに変わりはない。
原田氏によると稲葉事件が起きた原因のひとつが裏金問題であると書いている。全く無関係とも思わないが、こじつけのような感じがする。直接に事件の引き金になっているわけでもない。稲葉事件は裏金問題とは全く「別の次元の問題」といってもいい事件である。
数名の道警幹部が関与し二人の関係者が自殺(一人は変死)に追い込まれ、道警のSのなかに行方不明の者もいる。稲葉の犯罪集団と取引関係にあったロシアマフィアは韓国で射殺されている。
かなりインパクトのある事件なのだが当時のマスコミも積極的に追及したようには見えないフシギな事件である。
一時期「原田氏の部下であった稲葉」の事件がなければ裏金の告発はなかったとも述べている。告発を決めた際に道警からの引きとめや脅しがあったそうだ。
稲葉に絡めて「稲葉事件の闇」から世間の関心を逸らさせるにはうってつけの役どころで当時は最適の人物の登場だったかもしれない。
ネット上での巧妙な自作自演を見慣れすぎ、協力者たちの「組織的ストーカーに関する嘘」を散々体験してきた私は、社会的に立場のある人間であっても言ってることや行っていることを今ではそのまま素直に受け入れる事ができなくなっているのです。
警察官が組織ぐるみで公金を横領しているのだから事件であることはまちがいない。
私が不審に思っているのは、なぜあの時期あのタイミングで道警の裏金問題にスポットライトを当てなければならないのかということである。
やるんだったら「稲葉事件」の全ての闇を解明してからでもいいではないか。稲葉事件の何年も前からできたことではないか。錚々たるメンバーが集まって語るべきは、「道警の裏金問題」などではなく「道警の稲葉事件」ではなかったのか。
どこかの誰かさんもとってつけたように、裏金問題と一緒に稲葉事件をとりあげているが、稲葉事件などもう既にどこかに吹っ飛んでしまったようなものである。最近では稲葉氏の告白本に絡めて裏金問題との辻褄を合せているようだが当時の状況は全く違うものであった。
1年ほどのほぼ同時期に発覚し、北海道警察が組織として関わった2つの不祥事「稲葉事件」と「不正経理問題」の重さを考えた時、マスコミが取り上げジャーナリスト達が追及すべきは稲葉事件の背景の闇ではなかったのか。組織防衛のために都合の悪いことを隠蔽し闇に葬り去る警察組織の閉鎖的な体質こそがはるかに大きな問題だろう。
スクープ番組による裏金問題の発覚、そしてそれを補強するようにダメ押しするような
既に退職して傷つくこともない道警OBのタイミングよすぎる登場による「不正経理」の内部告発。
曽我部氏や織川氏の衝撃本の出版後に道警の「裏金問題」の唐突な発覚である。
「肉を切らして骨を断つ」という典型的で効果的な隠蔽工作の臭いがする。組織防衛のためにマスコミをまきこんだ大掛かりで狡猾かつ巧みな隠蔽の方法ではないのか。
警察組織の痛手を最小限でくいとめるために、「稲葉事件」そのものを矮小化するため
マスコミも側面から隠蔽に加担している可能性があることに気付いたとき(なぜ裏金問題なのか!)、当時は私も背筋が寒くなったものである。
メディアが警察権力の組織的な腐敗を隠蔽する側にもしも加担するとしたら(事件に消極的という意味である)、新聞社や特にテレビ局を始めとしたメディア関連企業の都合によるものであろう。
警察官、教員もそうだが個人の性欲や物欲による犯罪や不祥事は「人間だもの」ある意味仕方のないことで、組織全体を考えれば許容範囲内である。警官が携帯のカメラで若い娘のスカートの中の危険物を捜査しても大きな問題ではない。被害者の個人情報を加害者に洩らしたり、個人のストーカー被害よりも「宴会」を優先しその結果被害者が殺されてもまだ許容範囲である。メディアも警察の不祥事としてはりきって徹底的に追及するだろう。
しかし稲葉事件のようなケースでは違う。
警察組織全体が不正の元凶であるかのように著しくイメージダウンしたり、ましてや複数の幹部警察官が直接関与し本部長以下が見てみないふりをしたり結果として警察組織が犯罪に関わっていたなどという事実は絶対に知られてはならないことである。
もしバレテも最小のダメージにするべく巧妙な警察の組織防衛が始まり、メディアは「慎重に」様子を見ながら、警察の顔いろを窺いながら行動するはずである。
たとえば、基本的に警察や国家権力組織関係(FBIやCIAも含め)の主人公がヒーローとして描かれなければ、結局のところ映画、テレビドラマ、小説等が成り立たない。
刑事や捜査官はヒーローで、警察機関も正義を実現する組織でなければならない。
警察組織自体が腐った組織なら年間何十本もの民放各局の24時間警察密着のスペシャルといった警察の「真面目な仕事ぶり」を宣伝する警察御用達番組なども制作しずらいだろう。
その意味でもこの稲葉事件は警察側にもメディア側にも両方にとってのやっかいな問題であったろう。
あれほどインパクトのある事件が、巧妙な隠蔽によりその詳細がなるべく全国的に知られないよう矮小化して風化させてしまったのは、お互いに両方の事情を配慮したいわばメディアと警察の「共同作業」の結果である、と私は考えている。
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